堀 内 氏 報 告
2000年1月
”見たぞ!”幻想のオーロラツアー ('00.1.4〜10)
【はじめに】
 資料によると昨年10/18の美瑛天文サークル役員会の時でした。
 今年の作品展についての会議が終わり、懇親の中で加藤氏から”来年のはじめ、カナダでのオーロラツアーがあるので参加しないか・・・”という話が出ました。
 退職してやや暇な日々を送っており、大きな旅行も10月の「中国旅行」のみでしたので『美瑛天文サークル』としても意義のあることであると思い参加を申し込みました。
 その後、主としてパソコン通信や電話により連絡を取り、打ち合わせ会を行い、1名の経験者が居ましたのでその意見を参考にして準備しました。
 しかし、
 @何と言ってもマイナス40℃以下になるという気温に耐えられるか
 A天体写真を行ったことがほとんど無いのに写せるかどうか
 Gフイルムも凍ると言われる状況下でのカメラの暖房をどうするか
 Cオーロラは実際に写すことが出来るのだろうか
 D何と言っても本当にオーロラは見られるのだろうか
 Eカナダに行くのだからスキーにも行きたい
などと心配やわがままな考えが一杯出てきましたが”やってみなければ何も解決しない”と思い自分として最高の寒さの準備を買ったり持ったりして参加しました。
【第1日目】’00.1.4
 前日に、「西高A組クラス会」があり、いつもの通り十数名(12)の参加者といつもの「随園」で昨年の自慢と無事を祝い合いながら、今後の計画を話し合い、その後これもいつものように二次会を行いそのまま旭川市駅前のホテルに一泊。
 翌日旭川市からの旅行団と共に千歳まで行く。千歳には旅行社の方が来ており、簡単な挨拶の後一度関空ヘ。
 関西空港は初めてであり、完成の時などのテレビ放送を見ていたのでかなり興味深くあちこちと時間があったので参加した子供達と歩き回った。それにしても人工島であり、淡路一神戸の大地震の後であったのでかなり心配されたが大した物である。
 関空では、海外への出国手続きやカナダドルヘの両替(1カナダドル≒70円)、食事などかなり手間がかかって 18:54やっと出発。外はすっかり暗く、神戸の観覧車や明石大橋の照明が明るく見えました。
 19:30にはもう食事(タ食)が出てきたのでワインと共にしっかりと食べて早い夜に向けて少し寝る。(これ以降時間は少し休み)9時間あまりの旅だそうです。
【第2日目・しかしなぜか1/4】
 4時間ほどうつらうつらしている内に機内があわただしくなり朝食?顔も洗わず(そういえば前日に歯磨きもしなかった)トイレにも行かずに軽い食事だがあまり食欲無し。外ではせわしなく太陽が昇ってきて翌日らしい。高度11300mー52℃
 勿論関空では雪はなかったが、北海道よりかなり北と思われる(カナダと米国との国境線は確か49度のはず)のに到着したバンクーバー市にはスキー場があるというのに平地には雪は全くなく、遥か彼方の山に少し見えただけだった。

 税関や身体検査を終えてバンクーバー市に入る。
 ここで次の乗り換えまでかなり時間があったので市内見学をする。案内バスに乗るとガイドが”皆さんは非常に幸運です!”と言った。なんのことかと思ったら、本日は非常に好天で遠くまで見られたが、それまで悪天候で特に前日は大雨であったそうでした。
 バンクーバー市は緑の多い町で公園も多く港町ですので外国人も多く、特にチャイナタウンが有名だそうです。サッカー場の隣りにアイスホッケーの根拠地の大きな建物があり、ここがかなり大きな街でありスポーツが盛んな様子が想像されました。港にはヨットハーバーがありたくさんのヨットが停泊していました。この街の中心に「巨泉の店」があり、日本人が喜びそうな小物が沢山並んでいました。街で今夜の飲み物のつまみを買い、近くで食事をして飛行場へ。

 バンクーバー市発エドモントン行きの飛行機は途中カルガリーに停まりましたが既にすっかり夜になっており、夜間のナトリウム光が美しく、ここは大きな街で広い街ときれいに区画された町並みが美しかった。
 エドモントンでも失敗がありました。飛行機が着陸して降車口に向かいました。しかし我々は更にイエローナイフに向かうのですが、降車の列に付いていってしまったのです。添乗員があわてて追ってきたのですが、すでには乗り換え口は通り過ざていました。あわてて後戻りをしましたが、これがいけなく非常ベルが鳴りピストルを持った係員があわててかけつけてきました。我々はイエローナイフ行きの切符を持っていましたのですぐ特別入場口から入り、かなり歩いてみんなと合流しましたが少しヒヤッとした一時でした。

 エドモントンから更に乗り継ぎイエローナイフ行きの小さい飛行機に乗って本日最後の旅行につきました。乗客が落ち着き、出発してしばらくしてコックピットの方が騒がしくなりました。そして”前方にオーロラが見えている”という情報が流れてきました。私達はすっかり浮き足立ちましたが、何と乗客(特に日本人)をコックピットに入れて前方に見えるオーロラを見せてくれました。
 初めてみたオーロラはちょうど十勝岳の噴煙が風でたなびいたような感じで白く見えました。しかし”アレがオーロラか。さい先が良いな”と思い思わず身震いがしました。それにしても、わざわざ我々にオーロラを見せてくれた操縦士に感謝しました。

 イエローナイフは思ったより雪が少なく(あまりに寒く、内陸なので水蒸気がない)冬の飛行機のランディングも安心したものでした。空港の中には上からつるした布が、オーロラのようにひだのようになって色が着けられており、ここがオーロラの基地であることが感じられた。サーミスタ付きの温度計を持っている人からの速報一37℃荷物は別の車に載せてきてもらうので我々はすぐにバスに乗り旅館(イエローナイフイン)へ。夜遅くに着いたのですが、希望者にはその日もオーロラ見学がありますので旅館についてすぐ荷物を解き、防寒用具をしっかりとし、カメラを用意し、フィルムを3200に取り替えてレンタルの防寒具屋に行き、頭から足まで一セット借りてバスで50分ほど離れた観測地(マークスキヤビン)へ。
 ここは名前からも理解できるように、マークさんの家なのです。おそらくマークさんは猟師で、ここを基地としてあちこちを歩いているのでしょう。その家に我々のようにたくさんの観光客がくるものですから、継ぎ足して提供しているようで、屋根に入れてある断熱材も露出しており、隣りの部屋に家族が寝ていました。

 バスに乗ってすぐにあちこちから歓声が上がりました。
 勿論オーロラが見えていたからです。我々は少しでも早く見ようと必死になって窓を覗きましたがそれは無駄でした。窓は我々が乗るまではきれいになっているのですが、我々が乗ると間もなく曇ってしまうのです。いくらこすっても一時は見えるのですがすぐ曇ってしまいます。これはここらでもマイナス20度以下になったときにバスの窓で確かめられます。白分達の息の中の水蒸気がたちまち凍って窓についてしまうのです。
 相当に寒い中でしたが、頭から足先まで非常用の防寒用具を着け、頭もすっぼりと頭から首まで覆う物に更に目だし帽をつけ(おかしなスタイルを想像して下さい)外に出てみましたが、外はかなり雲がありました。しかし、よく見るとその雲は筋伏であり、雲を通して良く知っている星たちが見えるではありませんか!。そうです、これがオーロラだったのです。周りはかなり高い松の木が生えており、少し歩いて道路があるところに行くとかなり広く見られました。
 最初はただ見ていましたが、そのうちに気がついて写真でも撮ろうかと思い、カメラを持ち出しました。一人を除いて全員初めてであり、オーロラの写真の正確な露出時間は分からないそうでしたので、よくいわれていた「20秒」を目標としてレリーズを押して口で数えながらあちこちを10枚ほど撮っていましたがそのうち巻き上がらなくなりました。無理をすると切れてしまうと言われていたのでそのままポリ袋に入れしっかりと封をして撮影を中止して肉眼で観覧しました。夜食としてガイドと運転手がカリブーの肉の暖かいシチューとパンをごちそうしてくれました(ツアー料金に入っている)ので元気が出ました。
 しばらく観測していて現地時刻で0時を回った頃、空がかなりにぎやかになりました。それは文字ではとても表せないほど幻想的で激しいものでした。空のあちこちからオーロラが発生して動き出し、カーテン状や飛行機雲のような物、空一面に薄く広がった物などいろいろであり、それも下と上では色が異なるものですから、我々はただ”東にすごい物があるぞ!”今度は北がきれいだ!”などと空を見上げながら大きな声を出してワアワア騷いで居ました。特に頭の真上に落ちてくるようなカーテン状のオーロラには本当に感動しました。しばらくするとオーロラの勢いが少し弱くなりましたのでまだオーロラ続いてはいましたが寒さもあり、運転手などとの時間の約束もあるので今日の興奮を話し合いながら帰途につきました。

 部屋に帰ってもその感動の余韻があり、今日行かなかった団長を部屋に呼んで飲みながら感動を知らせ、分かち合っている内に朝になりあわてて寝ました。
 

【第3日目】
 目が覚めたのはほぼ12時でした(現地時間)。午後から市内見学があるのであわてて昨日残した物をかき込んで準備しました。 ここの街を走っている車で特徴的なことがいくつかありました。
1.へッドライトを昼間でもつけていること
1.観光バスはここにはなく、学校の通学用の物を利用しているとのことで、まだ観光用としてのバスはここまで来ていないようでした。
3.大きな駐車場にはなにやら柱が立っていましたが、ここでは駐車している間に充電をする電気の充電所らしく、よく見ると、全ての車には電線がついており、駐車場におけるコンセントは必置の施設と思われます。
4.座席にはスクレーパーが置いてあり、それで窓をこするのですが、すぐに霜がついて見えなくなります。ここでは乗客の窓を完全に見えるようにするのは至難の業のようです。
5.少し夕方になると殆どの車のエンジンがつけっばなしになっていましたが、ここでは−30℃以下になるとエンジンをかけて置いても良いのだそうです。そういえば前日の観測中のエンジンの音のうるさかったこと。

 イエローナイフは北緯62°で世界でも11番に大きいグレートスレーブ湖の湖畔で古生代の岩石の露出しているところにカナダ政府が準州の首都として新しく建設された都市であり、地下には金鉱があり、最近ではダイアモンドも発見されたという新しく発展途上の街なのです。また其の名もかってインディアンが使っていた銅(真鍮?)製の道具から来ているそうで、近くからはアンモナイトも出てきており非常に鉱産資源の豊かなところでまだまだ発展が期待される所です。
 またここは、アラスカのフェアバンクス。ノルウエーのトロムソと共に世界の三大オーロラ観測基地の一つ(将来的にはシベリアも有望)で、少なくとも年間200日以上はオーロラが見られると言われ、3目間潜在したらオーロラの見られる確率は95%以上であると言うところです。
 我々がこの時期を選んだのは
1.学校や官庁関係の仲間が多く休みをいつでも取れないこと(終わりに三連休がある)
2.現在11年周期の太陽の活動期(黒点が多い)で特にオーロラが多く発生すること
3.冬は夜が長く、見られる時間が長いこと(夏にも発生するが見る時間がない)
4.1月の新月が1/7と月の心配が無く見られること
 などでしたが、最初から素晴らしいものが見られたのは非常にラッキーだったのかも知れません。

 この街のオールドタウンは20億年という古い岩石の上に家が建てられている高級地で、新しい街はダウンタウンといわれる平地に整然と立てられているが、大きなビルの中にいろんな家が入って連絡されています。また、州議事堂や市庁舎、博物館などは少し郊外に建てられていました。町中も少し歩きましたが、気温が一29℃と30℃を示していました。日中でも素肌は絶対に出しては歩けません。
 観光の途中、ドライバーが急に車を止めて”見ろ!”という。そこは住宅のあるところで、誰かが餌をまいたようでたくさんの「ライチョウ」が集まって食事をしていました。ライチョウは非常に警戒心の強い動物で、滅多に人の見えるところには出てこないのですが、ここでは恐ろしい動物も居ないのでしょうか。かなりたくさん(数十羽)見られました。全身が白く、目と口のみが黒、足にも毛が生えており暖かそうでした。
 観光途中でグレートスレーブ湾の一部に停まりました。間もなくここに道が付くのたそうですが、少し奥にボートハウスがありました。またすぐ近くに水上飛行機があり夏には釣りや移動に活躍するのでしょう。また、エスキモー犬沢山(100匹ほど)飼っているところに行きましたが丁度日本人達(この時期は日本人が殆どだそうです)が出発するところでした。明日これに体験ツアーで参加する人もたくさん居るので丁度良い下見となりました。
 今日もナイトツアーがあるので市内で夕食をみんなでとる。それにしても食事の量が多いことよ。カロリーは必要だが太った人や酔っばらいが多い理由もわかる気がした。21時にロピーに集合してナイトツアーに出発する。今日も同じコースをたどりマークスキヤピンに行く。イエローナイフインには我々ともう一つの日本人のオーロラツアーが来ていましたが、同じ所ではないのでいろんな所に行くツアーがあると思われました。そう言えぱ湖上での観測風景が写真に乗っていました。

 今日もバスに乗ったときからオーロラが出ており、期待が大きくなっていた。キャビンについてからすぐ観測と撮影に入ったが今日のオーロラは前日と異なり、動きの激しさも少なく、色も殆ど白一色であり、ややつまらない物であった。そういえばガイドの話でも昨日のオーロラ(ここではオーロラといわずにノーザンライトというのだそうです)は今年最高だったそうで大きな太陽活動(これをバーストというのだそうです)があったのでしょう。オーロラがややつまらないのでここでの星星の観察をしてきました。
 当然のように北極星の高度は高く(ここの緯度は62。)カシオペアと北斗七星が同時に見えました。また、南側のオリオン座もかなり低く見えよした。
 夜の白身の魚のスープも美味しかった。

 昨日、初めてみたオーロラを我が家に伝えようとしたのですが電話がうまくかからず失敗したが、昨日電話した加藤さんから要領を聞いて夜中(日本では10時頃)に電話し、昨日も今日もよく見えたことを話しましたが見えたことに驚いていました。地球の反対側に簡単に話せるのですから世界は狭い。部屋に帰り、いつものように反省をしていると同室の小畑氏が外を覗いて”きれいなオーロラが見える!”というので団長と昨日行かなかった人を呼んで見学する。短時間ではあったがかなり動いており、カーテン状の素晴らしい物であった。
 外を観察しているとまた珍しいものが見られました。ここではどこでもいつでも暖房をしていますが、その煙が下の方に落ちていくのが見られました。旭川市でも、特に寒く無風の時に見られることもあり「気温の逆転現象」によるものですがどこの煙も下向きに流れているのは不思議な現象でした。
 

【第4日目】
 夜まで自由時間だったので昼過ぎまでゆっくりと睡眠をとり、午後から同室の小畑氏と共に市内の物産館と博物館を見学をする。 昨日回ったので町の様子は少し知っており、街もあまり大きくないのでノンビリと郷土物産館と博物館や商店、土産物屋を見て食事をしてくる。
  郷土物産館はまあまあだったが、プリンスオブウエールズ博物館は名前の通りとはいえないがかなりまとまっており、学術的にも見所がありました。まず、入ってすぐに見られたのが体重500Kgとう巨大な白熊でした。そのほか、先住民の住宅と生活の様子、カリブーやじゃこう牛やいろんな鳥の剥製も迫力がありましたし、いろんな鉱物も興味がありました。
 また飛行機のいろんな部品や器具が陳列されている部屋があり子供の科学的興味を引くものでした。中には、専門家が常駐しており、学校などにいろんな資料を提供しているそうでした。更に名前は忘れましたが、画家の作品展覧会も開いていました。

 ここに来てで三日目にやっと太陽が見られました。
 情報によると、日の出が9:58、日の入りが15:30という短さであり、当然太陽の高度も低いものでした。それにしても、日中曇っているのに、夜になると完全に晴れるのには驚きました(少しでも曇っているとオーロラは見られないのだが)
 歩いているときに見られた樹木はここが湿地帯であり、街として開発されたので街中には樹木は殆ど見られなく、わずかにヤナギの一種とシラカンバの種類が見られたのみで郊外にある針葉樹林は見られなかった。また潅木や草はどこでも見られ、夏にはかなりいろんなものが見られると思われました。(盛夏には30℃にもなるそうです)

 オーロラツアーも三日目となるとややゆとりがあり”今目こそ良い写真を撮ろう!”との欲もわいてきた。今日はもうバスから外を見ている人もいない。
 小屋に行く途中にまた珍しい物に出会いました。
 この辺には野生の北米トナカイ(カリブー)が沢山おり、夜行性なのでなかなか見られないのだそうですが丁度途中にかなりの集団がおりました。運転手が見つけて”見ろ”といい車を止めました。そしてカリブーが移動したので車をバックして方向を変えて光を当でて良く見せてくれました。親切な運転手でした。
 初日にはカメラが凍り付いて巻き上げが出来なくなったので、二日目にはカイロを巻き付けて置いたがそれもずれてしまいなかなか大変だったので、今日はカメラが凍り付かないうちに室内に持ってこようという作戦をとった。普通外から室内にはいるとレンズに霜が付いてしまうのですが、ここでは水蒸気がほとんど無いのかレンズも曇らない。そんなわけで、外で見学していてきれいな現象が出るとすぐに部屋に入りカメラを持ってきて写し、すぐに室内に持っていくという方法をとったのである。
 三目目もかなり激しいオーロラ(ノーザンライト)が出ていました。初日よりはやや激しさと色の状態が弱いとはいえ、”これがオーロラだ!”といえるようなものが沢山見られました。私はカメラについては全く自信がないのに、あとで現像してみましたら何とか写って居ましたので来年の『美瑛天文サークル』の展示会には提出しようと思いますが、他の人達はかなりカメラに自信がありそうであり、特に初日のバーストは楽しみです。しかし、三日間とも見られるというのは私達も相当精進がよいのでしょうか。それともいつでも見られるのでしょうか?
 今日のスープも美味しかった。

 明日の朝早く荷物を出すというので夜の間に荷物を詰めておく。
 荷物といえば、今回のツアーでの宿泊はここイエローナイフとバンフのみであり、カナダは少し安全だと思い、旅行会の人に聞きますと”心配いりません”というので旅行鞄を借りてくるのを止め、スキーの靴などを入れる大きな鞄を持っているのでそれを利用しましたがそれが大正解で、荷物を出し入れするのにも楽ですし、何と言ってもあの大きなスーツケースをごろごろと引きずっで歩くのは、さも”海外旅行でございます”というようでいやなので簡単にしょって歩くこともできるリュック式の鞄は大変楽でした。
 

【第5日目】
 飛行機の移動はかなり時間がかかります。
 まず、乗るにあたり、身体検査と荷物の検査(これは殆ど添乗員がしてくれる)があるので出発時間のかなり前に行かねばなりませんし、出発も天候の様子でかなり変わります。それより、乗り換えがあるときには本当に待ち時間があります。そんなわけで、5:30にモーニングコールで荷物を出し、6:00朝方ホテルを出てバスで空港に行き、オーロラと人形の形をした石積みのイヌックシュ(石の人)があるイエローナイフ空港をを出発し、エドモントンで乗り換え、石油とガスとオリンピックの街:カルガリーにつく。ここから更にバスでルートl号を110kmでl時間半ほど走り、バンフに着いたのは午後遅くでした。さすが石油の街、街中の石油の値段は57セント/l(40円くらい)と日本の半分以下でした。

 途中にいろんな物が見られました。
1.カルガリーの街を出て間もなく丘陵の一部にジヤンプ台がありましたがこれはオリンピックで利用した物だそうです。しかし、周りには殆ど雪がなく、おそらく人工雪で行ったのでしょう。スケート選手が良く世界新記録を出すというスケート場は見学できませんでした。
2.広大な丘陵地を走りましたが、雪はほとんど無かったが、池などはすっかり凍り付いており現在が真冬であることを実感した。そんな中に赤毛の牛が沢山見られこれがアルバータ牛でした。
3.やがてロッキー山脈に入りましたが、この山脈は一方に急傾斜した地形をしており地層のような縞も沢山見られこれが隆起山脈であることが良く分かった。
4.山脈に更に近づくと、やや灰色をした地層が見られました。開くとこの地域の山は殆ど石灰岩で出来ており、そういえば通り道に石灰工場がありました。
5.バンフの隣町に「キャンモア」という街がありました。ここは、以前住んでいた東川町と友好姉妹都市を結んだところで、山の中の観光郡市として発展している郡市であり、想い出深く見てきました。
6.東西に走る国道沿いに流れている川はボー川であるが、この川の上流にボーレイクがあるらしい(今回は行かなかった)が、この湖はかって我が息子が今は亡き祖父と旅行に行ったところであり、今も大きな写真があるので懐かしく思われた。
7.アルバータ州は我が北梅道と姉妹州を結んでおり、気候は似ており、札幌にアスペンポプラとワイルドロード(ヤマハマナス)が植えられているそうです。

 バンフは観光地として有名なところで、街も殆どは観光産業で、イエローナイフよりは小さいが華やかな感じがしました。今回の旅行には食事が一つもついていないので常に外食です。観光地なので食事には不足しないが食事の内容が分からず、英語の達者な人に付いていく。中国に行ったときには酒を買うのに苦労したがここでは酒屋やスーパーもあり買い物は楽である。
 明日に向けて近くのレンタルスキーに行き一式借りてくる。
 さすがスキー場を近くに抱えているだけあり、レンタル屋も沢山あるし、スキー等も完全に整備した物が沢山あり、だいたい理解できる英語の書類でゆとりを持って選べた。
 

【第6日目】
 今回の旅行で私が最も楽しみにしていた日である。一日自由行動である。人によってはつりをしたり、市内観光をしたり、へリスキー(居なかったが)をしたり、近くの観光地に行ったりしたが、一番多かったのやはり近くのスキー場へ行く人であった。
 この近くには3つのスキー場があります。すぐ近くに一つと、バンフから16Km50Kmほどの所にあるそうです、が私は仲間がサンシャインビレッジに行くというでそれに同調した。
 サンシャインビレッジに行くバスは私達の宿(ダイナスティイン)の前に停まります。往復の料全が10カナダドル(約700円)で駐車場まで行きました。
 出発が8:45とやや遅かったので、着いたときはかなり大きな駐車場(千台くらい入れるのかな)も殆ど満車でした。何とか1日券を買い(49ドル、約3.500円)40分ほど待って山の上のスキー場行きの世界一長いという(4.3Km)ゴンドラに乗り、2160m地点に着く。ここからリフトに乗り、二つの山ルックアウト(2730m)とスタンディシュ(2398m)をまず征服し(初・中級のみだが)昼食を大きなピザですまし、もう一つの山ゴーツアイ(2806m)に行く。ここは初級者禁止と表示が出ているほどの山でかなり急斜面でしたがここも2回ほど楽しみ、下山コースを下りてきました。
 ここのスキー場は、平均に急なコースが多く、岩石がかなり出ていました。また、樹木があるところも平気でスキーやボードをしていました。こちらのスキー場は自分の怪我は自分で責任をとれ・・と言うのらしく、あまりうるさいフェンスなどはありませんでした。特にボードの人は急な崖を乗っていたようです。

 夕方、近くにある温泉に行ってきました。情報で水泳パンツが必要と聞いていましたので持っていきましたが、温泉の中に賃しパンツがありましたので特に必要はありません。ここの温泉は、日本と違い、大きな露天風呂に全員が入って暖まるというもので、温泉の効用はあるが、温度も日本より低く、芯から暖まるものではなくやや物足りない感じがしました。しかし、日本人と外国人とが裸の付き合いをしてきました。
 

【第7日目】
 いよいよ旅行も終わりです。
 今日は単なる旅行日となり、今日の夕方(明日の朝早く)美瑛町の我が家に着くはずです。
 7:30に荷物を出し、バスでバンフからカルガリーに行きました。まだ暗い中ですがバスは高速道路を110Kmで走りました。今日は日曜なのでバンフに向かう車はたくさん居ましたが、我々のようにカルガリーに向かう車は殆どありませんでした。考えてみるとそんなに早く山脈を越えてくるようなものは居ないのでしょう。
 そのうちに丁度正面から太陽が上がりました。太陽をシルエツトとして見えた細くスックと立っている松(名前は分からないが)は非常に美しく感じられた。(そう言えば!スキー場に行く途中の山はこればかりであり、日本にあったら是非植えたいものである)
 荷物がカルガリーから千歳まで行くので最後の身体検査やチェツクが行われました。
いやな時ですが、中にはハイジヤックもあり仕方ないのでしょう。バンクーバーで乗り換え13:30発関空行きに乗る。
 ここでもハプニングがありました。添乗員は知っていたらしいのですが、バンクーバーから関空に行く使で我々全員が乗れるだけの客席がとれなく2名はバンクーバーで一晩宿泊するというのでした。幸い添乗員とあと一名が残りましたがこの時期かなり混んでいるのですね。

 関空へは11時間。長い昼を過ごして体調が悪い。飛行機内ではいつも免税品の販売が行われます。お金が残っていたのでカナダのジヤーキーを全額買う。19:17関空発千歳行きに乗るが、日本語でアナウンス”千歳が吹雪で到着できるかどうか分かりません。到着できなげればここへ引き返しますのでご承知下さい!”今までの旅行が順調だったのでにわかに日本の厳しい現実に戻される。あとで聞くと、この日は朝から全道的に大吹雪で、交通機関は殆ど麻痺、飛行機も殆どが停まっていたというのでした。あとで、それを知っている人から”良く当日に帰れましたね”と冷やかされました。
 札幌市で乗り換え、旭川市についたのは殆ど真夜中、出迎えの人も居ましたが別れもそこそこに急いでハイヤーに乗り美瑛町まで6700円。しまった!100$ほど残しておくのだった。
 家に着いたのは11日 1:30であった。
 

【終わりに】
 旅行はいつもスリリングです。特に、旅行の計画を立てるときにはどきどきと興奮します。
 今回は、何故か(年のせいか)あまりドキドキしなかったようです。待に、今まで今回のように何も準備(言語や場所の下調ベ、服装や買い物などの計画)をしなかったのは初めてであり、近くに中国に行ったせいもあり、かなり旅慣れてきたのかなあとも思うが刺激がないのは淋しい限りである。
 私の好きなテレビの番組に「世界遺産」というのがあります。これは、殆どが歴史的な人工的な物ですが、自然現象もかなり多く、非常に楽しみにしております。時刻がやや遅いのでビデオにとってあとで観覧しますがそのいずれもが素晴らしいもので、世界にはまだまだ見たこともない不思議な物があり、旅行はその土地の生活の様子や食べ物も楽しみですが誰もが”美しい。不思議だ”という物はどれもが素晴らしく、今度時間が出来たので意欲とお金の郡合が着けば何回でも海外(国内でも良い)に行ってこようと思っています。まだまだいろんな物を体験したい。